「三重災害」を経た日本における民主主義の復興

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  • 2013年3月11日

    Christopher Hobson

    Rebuilding Japan’s democracy after the ‘triple disasters’

    Photo: Stephan Schmidt/UNU

    多くの人命を奪い原発事故の引き金となった地震と津波から2年を経て、それまで政治に無関心であった日本社会において「三重災害」がいかに市民参 加と市民運動の再活性化につながっているかについて考察することは、極めて興味深い。そうした現象は、日本の民主主義の将来にとって何を意味するのであろ うか。

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    「三重災害」(地震、津波、福島原発事故)から2年が経つが、災害者の多くにとっては復興が始まったばかりとしか思えない状況であり、 31万6000人を超える人々が未だに避難生活を送り、将来に対してはまだ大きな不安がつきまとっている。

    災害への対応、とくに福島第一原子力発電所の事故に対する対応は、日本の民主主義の多くの欠陥と問題点を浮かび上がらせた。だが、そうした問題に目をそらすことなく、より肯定的な兆候を見いだし有意義な成果をもたらす可能性のある動きを探し出す努力もまた必要である。自然災害は、文字通りまた比喩的にも社会生活の破壊であるが、同時に変化のための機会を生じさせる。

    本稿は、東日本大震災と津波から2年目にあたるこの機会に、日本の民主主義にとっての明るい進展を見出そうとするものである。

    透明性の向上

    福島第一原子力発電所の事故は、歴史上2番目に深刻な原発事故であった。そして、災害の調査と主な原因の特定を目的とした3つの独立した委員会の設置に至っている。

    西欧民主主義諸国においては、重大事故の後には独立した調査が実施されるのが通例である。だが、こうした仕組みは日本ではまだ存在しない。実際、当時の国会により設置された独立調査委員会は、日本の国会史上その種の委員会としては最初のものであった。
    従って、そうした委員会の設置そのものが、日本における民主主義の説明責任と透明性の向上に向けた重要な一歩となっている。そして、委員会の調査結果によって、原発の管理と規制の仕組みに潜む深刻かつ組織的な問題が暴かれることで、「原子力村」のそれまで通りの活動の再開はよりいっそう難しくしなっている。今や彼らの振る舞いはより強い詮議の目にさらされ、原子力の安全性がより重視されるようになった。

    こうした状況は、日本の原子力行政を担う新たな機関としての原子力規制委員会(NRA)の誕生につながっている。同委員会はその前身機関に比べはるかに高い独立性が認められ、また大幅に厳しい安全基準を設定している。このような変化がどの程度恒久的なものかを判断するのは時期尚早であるが、福島原発事故によって求められるようになったより高いレベルの透明性は、日本の民主主義にとって重要な先例を築くための一助となるだろう。

    ボランティア活動

    健全な民主主義にとって最も重要な要素は、活気ある市民社会であり、この点に関して過去2年間で日本の民主主義には大きな進展が見られる。そうした目覚ましい進展の1つは、災害後の支援に数多くの人々が貢献したことであり、何らかの形でボランティアとして参加した人々は 400万人を超える。そうした活動は、民主主義に結束と強化をもたらす「接着剤」の役割を果たすものとして、社会資本の構築という観点から良い結果をもたらす可能性がある

    ボランティアのほとんどがNPO(非営利組織)への協力という形で支援に参加しており、災害後のがれき撤去活動においてNPOは重要な役割を果たしている。神戸の震災後、またとりわけ2001年3月11日以降、国内の各NPOは日本の政治構造においてより身近な、そして一般的な存在となっており、革新的で意義ある方法によって東北の復興支援を試みてきた。

    その1つの例が、「三重災害」後の女性が抱える問題に焦点を絞ったNPOの東日本大震災女性支援ネットワークである。こうした団体は、東北の復興と再建に女性の声を確実に反映するうえで重要な役割を果たしているということに加えて、男女共同参画に関して世界で101位に位置づけられている日本においてジェンダー意識の向上全般にも貢献している。

    市民運動

    福島第一原子力発電所の事故に対する不安と怒りは、市民運動の大きな高まりにつながっている。最も顕著な動きは、国会議事堂前で毎週開催された抗議集会である。そうした抗議集会は2012年夏にピークに達し、 1つの集会に17万人を超える人々が参加した。このことは日本においてはとくに重要な意味を持つ。すなわち、日本では政府に対する抗議行動が伝統として根付いておらず、そうした行為はこれまで「急進的」という烙印を押されてきた。福島原発事故を契機として、母親、子供、オフィスワーカー、高齢者といった社会の幅広い層が参加する本来の意味での抗議行動へとつながっている。

    福島問題はまた、政治的行動主義をより幅広く促すに至っている。その1つのよい例が、原子力発電に対する抗議運動に刺激を受け、日本の自由貿易協定参加に反対を唱える人々が毎週の抗議デモを始めたことである。

    エネルギー政策

    福島の悲劇以降、それによってわき起こった抗議運動や市民社会行動主義は、日本の民主主義に新たな活力を吹き込むことが期待される。ある抗議団体 が述べているように「日本国民の半数は原子力発電の再開に反対している。結局のところ原子炉の運転は再開されたが、今や政府は反対意見に耳を傾けるようになってきている。民主主義もまた再開されたのである」

    福島の原発事故はまた、日本の将来のエネルギー政策についての継続的な議論にもつながっている。将来のエネルギー政策の決定にあたって、前政権は、それまでの政権と比べて一般から意見を募る機会を増やそうという姿勢を示していた。一連の市民集会が開催され、熟議民主主義(deliberative democracy)という考え方に基づいた世論調査が実施されてきたが、政策立案過程においてこの様な方法が政府によって採られたのは初めてのことだった。人々が原子力について知れば知るほど、原子力を日本の将来のエネルギー政策の1つの選択肢とすることに賛成の声は少なくなるであろう。

    原子力に替わるどんな代替エネルギーが存在するのか、またそうした新たなエネルギーの賛成意見と反対意見について知ることによって原子力に対する国民の関心が高まっており、それによっても日本の民主主義は再活性化している。未だ政策転換として結実するまでには至ってはいないが、今やこうした問題に関してより多くの情報と議論が見られるようになっている。

    日本の原子炉のほとんどすべてが停止状態にある中で、再生可能エネルギーの可能性に対する関心がかなり高まっている。通信・インターネット会社のソフトバンク社社長であり有力な財界人である孫正義氏は、自然エネルギー財団の設立によりこの分野に多額の資金を提供し、2030年までに日本のエネルギー生産の50~60パーセントを再生可能エネルギーによって賄うことを目指して、10カ所のメガソーラープラントの建設を始動させている。

    もう1つの重要な計画として、福島沖に143基の風力タービンで構成され、1ギガワットの発電能力を有するウィンド・ファームの建設計画があるが、これは 世界最大規模の風力発電プラントとなるだろう。

    これらは、日本の将来に大きな影響を及ぼすことになると思われる再生可能エネルギー分野で進んでいる重要なイニシアチブの例の一部に過ぎない。さらに、「クールビズ」や「ブラウンアウト」といった省エネ対策が効果を上げており、「三重災害」後の電力不足の結果として日本国民の間でも持続可能な生活スタイルが浸透しつつある。気候変動に対する対策はすべての人にとって緊急の課題であり、福島の悲劇が日本そしてその他の国々にとってもより持続可能な形でのエネルギー利用への転換を促すきっかけになるのであれば、福島の災害はなお民主主義にとって前向きな結果につながるであろう。

    民主主義の基盤

    だが、そうした肯定的な動きを誇張しすぎることがあってはならない。なぜなら、そうした傾向以外にも好ましくない動きが確かに多くみられるからである。2012年12月選挙の 投票率は日本の戦後最低であったし、原発反対の一般的な民意が反映されるには至らず、原子力支持の自民党政権が再び政権に就く結果となった。

    福島第一原子力発電所の事故が「人災」に指定されたとしても、事故の責任が特定の誰かにあるということを示すものはほとんどない。一方で、政治家や官僚に対する不信が大幅に高まっており、日本の民主主義にとって深刻な長期的影響が懸念される。

    しかしながら、本稿において述べてきたように、「三重災害」は、ボランティア精神と市民運動が高まるきっかけとなり、公共政策に関する議論と市民参加を促し、より持続可能な生活スタイルの浸透を促進することにつながっている。これらすべてが、東北地域の復興のみならず、日本の民主主義の強化にとって重要な基盤となるのである。