3.11後の日本における人間の安全保障

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  • 2012年3月29日

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    Leo Salinas/USMC

    国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)のプロジェクト「人間の安全保障と自然災害」は、人間の安全保障の概念を自然災害との関連においてさらに強化する必要性を訴えてきた。2011年に東北で発生した地震と津波のような大災害の場合、このことはとくに重要である。

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    「人間の安全保障」は1990年代に初めて現れたアプローチで、国家を優先させる従来の考え方から脱却し、人間を安全保障の理解における主要な焦点とみなす。このアプローチでは、人間にとって最も喫緊の脅威は国家間の戦争ではなく、飢饉や病気、強制移住、内戦、環境悪化など、日々、人々に影響を及ぼす緊急事態に起因するものであるということが強調されている。人間の安全保障とは、人々が尊厳を持ち、「恐怖」や「欠乏」に苦しむことなく生活できることである。日本は、国際的に先頭に立って人間の安全保障を擁護してきた国であり、この信条を外交政策に組み込もうと積極的に努めてきた。

    1994年の国連開発計画(UNDP)報告書の中で自然災害は人間の安全保障に対する脅威とみなされ、2003年には人間の安全保障委員会が、「3種類の危機、すなわち経済危機、自然災害、紛争は、社会と人々の人間安全保障に最大の打撃を与える」と言及した。これらの画期的な報告書によって人間の安全保障の課題における自然災害の重要性が明らかになったにもかかわらず、これまで詳しく追及されてはこなかった。その代わりに、内戦やその他の明らかに人為的な問題が重視される傾向が強かった。例えば、マクファーレンとコンはその影響力のある研究論文「Human Security and the UN: A Critical History(人間の安全保障と国連:重要な歴史)」の中で、「人間の(非)安全保障の概念の中核をなすものは、我々を破滅させようともくろんでいる何らかの組織体または個人の集まりの存在である。そのため、2004年12月の津波では多数の死傷者とすさまじい破壊がもたらされたものの、津波を人間の安全保障上の問題として解釈することは有益ではない」と指摘している。

    しかしこのような見解は、人間の安全保障上の脅威を構成する要素についての理解においても、またどのような種類の機関が重要かということについての理解においても、あまりに限定的である。地震や津波は「我々を破滅させようともくろんでいる」何者かにはあたらないかもしれないが、自然災害が大惨事となるかどうかにおいて人間の選択は中心的な役割を果たす。

    UNDPの報告書では、人間の安全保障アプローチを適用すべき状況を「日常生活のパターンの突発的かつ有害な途絶」と説明しており、自然災害は明らかにこれに該当する。近年発生した最も大きな自然災害のいくつかについて、数字をみてみよう。2004年のインド洋津波では、およそ22万6400人が死亡した。2008年にミャンマーで起きたサイクロン・ナルギスでは13万8360人以上が、そして2010年のハイチ大地震では31万6000人以上が亡くなった。人間の安全保障の事例特定における有効な評価基準である避難民にまで範囲を広げると、数字は途方もなく膨れあがる。2008年の中国四川大地震では1500万人以上が、2010年のパキスタン洪水では1100万人が、そして2010年の1年でみると自然災害により合計で4200万人を超える人々が住む場所を失った。日本では、2011年に東北で起きた地震と津波によって、1万5800人を超える人々が亡くなり、34万人以上が住む場所を失った。こんなにも多くの人々の生活が直接的な影響を被っているのに、自然災害が人間の安全保障上の問題とみなされないのは非常に奇妙なことではないだろうか。

    日本で起きた「三重災害」(地震、津波、原発事故)を受けて、UNU-ISPは人間の安全保障に関するその既存の研究を拡大し、自然災害についての焦点を組み込もうと取り組んできた。「人間の安全保障と自然災害」プロジェクトは、UNU-ISPのグローバルな視点を反映して、2011年の東日本大震災と津波について比較分析し、2004年のインド洋津波、2008年の四川大地震、2010年のハイチ大地震など、近年起きた他の「大災害」についても検討している。

    自然災害が人間の安全保障の枠組みにおける主要な懸念に直接関係する問題であるということについてより詳しく説明するためには、1994年のUNDP報告書の中でまとめられている人間の安全保障の主要要素について、自然災害との関連で考察することが有益である。2011年3月11日に日本で起きた地震と津波の例はとくに示唆的である。

    人間の安全保障の主要特性

    1994年のUNDP報告書は、人間の安全保障の4つの主要特性を特定している。

    人間の安全保障は「普遍的」な関心事である。しかし土台となる人間の安全保障についての日本の理解は、それが他者、すなわち開発途上国のためのものであるという根拠のない思い込みに基づいたものであった。人間の安全保障は日本の海外開発援助の一部ではあったが、国内政策に組み込まれることは決してなかった。しかし昨年の地震と津波は、人間の安全保障上の問題が国内にも存在するということを力ずくで実証した。

    人間の安全保障のさまざまな要素は「相互依存的」な関係にある。無数の問題が発生し互いに関連し合う自然災害において、この特性はとくに顕著である。例えば、食料、健康、および個人の安全は、災害後の避難所において必ず発生する問題の一部である。この問題はさらに以下で検討する。

    人間の安全保障は、事後の介入よりも、事前の「予防」によって、より容易に確保することができる。東北地方は地震と津波に対する備えができていたが、残念ながら福島第一原子力発電所はそうではなかった。原発事故の主な原因は、東京電力、政府、および原子力産業において、自然災害発生の可能性に対する備えが極めて不十分だったことにある。

    人間の安全保障は「人間中心」である。人々の安全を最優先すべきであるということは、かなり当たり前のように思われるかもしれないが、この点が見失われることがあまりに多い。震災後、東京電力は被災者のことよりも自らの利益を守ることばかりに気を取られていた。同様に震災後の数カ月間、多くの政治家たちは、被災地における対応や復興に関連するはるかに重要な問題よりも、菅直人元首相を辞任に追い込むことに熱心だった。したがって、人間の安全保障においてまず人々に重点を置くべきであると明言することは重要である。

    人間の安全保障の主要カテゴリー

    さらにUNDPの報告書は、人間の安全保障上の脅威について7つの主要カテゴリーを特定しており、自然災害はそのうちの「環境の安全保障」に属する。人間の安全保障の相互関連的な性質を考えると、他のそれぞれの構成要素が自然災害にどのように関わっているかについて考察することは有益である。

    「経済的な安全保障」:自然災害に襲われた時に人々が被る影響は平等ではない。より貧しい人々、より脆弱な人口集団が集中的に被害を受ける。東北地方では、大企業や政府に雇用されていた人々はほとんどの場合仕事を続けることができたが、その一方で自営業者や日雇い労働者は、新たな勤め口がなかなか見つからない場合が多かった。そして収入源を失った人々は、さらなる自然災害であれ、景気の悪化などのその他の事象であれ、将来における何らかの打撃に対する脆弱性が増すことになる。

    「食料の安全保障」:言うまでもなく災害直後の復旧期間における主要な問題は、被災者に生活必需品を届けることだが、その際に適切なもの、すなわち栄養のある食物ときれいな水を届けることが非常に重要である。津波の直後、被災地に食料がなかなか届かなかった。その原因は、食料配給の計画が神戸で起きたような大地震の発生を想定して策定されたものであり、地震に続いて津波が起こる場合が想定されていなかったためである。避難所の人々に配られたのは主におにぎりやパンで、これらはあまり栄養に富んでいるとは言い難く、食物源としてこれらの食品に過度に依存することは実際に健康障害を引き起こす。

    「健康の安全保障」:災害後は、外傷や病気の脅威についての差し迫った懸念がある。これに比べてあまり知られてはいないものの非常に重要なのが、既存疾患への対処という問題である。例えば、定期的に薬剤を服用している人々に医薬品を供給する必要がある。災害直後の外傷患者への対処が終わると、既存疾患を持つ人々の管理が喫緊の課題となる。したがって、災害前からの既存疾患や災害後に発症する疾患といったその他の健康問題に対処するため、対応チームのメンバーに外科医だけでなく一般開業医も含める必要がある。

    「個人の安全保障」:自然災害で人々は、家族や友人、家、財産、すべての生計手段といった何もかもを失う可能性がある。東北の震災の後、人々が仮設住宅に移ったり別の居住場所を見つけたりするにつれ、避難所の数は急速に減少した。しかし1年後、政府による恒久住宅の再建は遅々として進まず、人々の生活は依然として宙に浮いた状態にある。もう一つの重要な問題は、日本では多くの人々、とくに高齢者がいまだ自宅に大金を置いており、その多くが津波で流されてしまったため、多くの人々が貯金を失い困窮していることである。

    「コミュニティの安全保障」:私たちは孤立して生きているわけではない。私たちの人生は、家族、友人、そして住んでいるコミュニティとの結び付きによって意味を与えられている。自然災害によって、これらの関係が破壊・断絶される、あるいは厳しい試練にさらされる可能性がある。津波の後、小さな村の住民たちはつねに同じ避難所や仮設住宅に入れるわけではなく、結果として住民のための極めて重要な支援ネットワークが失われた。また別の例をあげると、1995年の阪神大震災の後、家族構成と生活形態が多大な影響を受けた。これと同じことが昨年の震災後に再び起きている。原発事故のため、多くの家族が離れ離れで暮らすことを余儀なくされた。よくみられるケースは、夫が仕事のために福島に残り、妻と子供が放射線の心配のない国内の他の地域に移り住むというものである。

    「政治的な安全保障」:大災害の後においても、人々の基本的人権が尊重され保護され続けることが極めて重要である。また、権力を持つ者が透明かつ説明可能な方法で統治を続けることも重要である。しかし日本ではそうはならなかった。福島第一原子力発電所で事故が起きた時、政府と東京電力はオープンに行動し、何が起こっているのか、また何が起こり得るのかについて率直で正確な情報を提供することができなかった。

    人々を守る

    以上、自然災害との関連で人間の安全保障上の問題が生じる状況をいくつかあげてきた。日本はこれまで人間の安全保障アプローチの主要な擁護者、支持者であった。さらに2011年3月11日以降、これらの問題が国内でどのように生じるのかということについても理解するようになった。今回の地震と津波で明らかになったのは、このような災害が何十万人という人々を一瞬にして非安全保障的な状況に陥れてしまうこと、そしてもとから弱い立場にある人々についてはその立場をさらに弱めてしまうということである。

    自然災害はより頻度を増すとともに、より激しく破壊的になっており、今では人間の福祉にとって最も深刻な脅威の一つとなっている。人間の安全保障アプローチにおいて要となるのは予防に力を注ぐことであり、これは私たちが将来の災害から自らを守るうえで決定的に重要な要素となる。